有働由美子さんは、NHK紅白歌合戦の司会を担当されたこともある元NHKアナウンサーです。
現在はフリーアナウンサーとして、音楽番組やラジオ番組など、精力的に活動されています。
怪我をした姿で「news zero」に出演したり、突然髪型を赤く染めたりと、有働由美子さんは常にオープンな姿勢で話題を提供してくれます。
今回は、そんな有働由美子さんの実家について、以下の気になることを調査しました。
- 有働由美子さんの実家は大阪のどこ?
- 有働由美子さんの実家はどんな家?画像はある?
- 父親・母親はどんな人?
- 兄弟はいる?
- 実家の思い出エピソード
最後までご覧ください。
有働由美子の実家は大阪のどこ?
有働由美子さんの実家がある場所は、大阪府豊中市です。
豊中市は約40万人と大阪府内第4位の人口を擁し、住みやすく治安が良い都市です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
有働由美子さんは、小学校6年生以降の学生時代、実家がある大阪府豊中市で過ごしました。
有働由美子の実家は鹿児島→兵庫→大阪の順に移り住んだ
有働由美子さんは、鹿児島県日置市伊集院町で生まれ、4歳まで過ごしています。
鹿児島県を出たのち、兵庫県を経て大阪府に移住し、中学校は豊中市立第十六中学校、高校は全国でもトップクラスの偏差値である進学校の大阪府立北野高等学校に通っていました。
北野高校の所在地は大阪市ですが、電車で30分ほどの距離なので、豊中市から通うことができる距離です。
中学校では電車通学の可能性が低いと考えると、第十六中学校から通える範囲の距離に実家があるのだと推測できます。
有働由美子の実家の父親は亭主関白な中学教師
有働由美子さんの父親について調べましたが、名前は公表されていないようです。
父親は中学教師で、退職後は鉄鋼関係の下請け業者として起業するために、大阪へ移住したそうです。
門限が厳しく、大学生時代でも20時門限とされ彼氏ができなかったと、有働由美子さんは語っていました。
父親が門限厳しかった。門限から遅れるとマジで激怒りしてて大学生になって20時門限って意味が分からなかった…
引用元:スポニチアネックス
夕食時に、母親は父親と一緒に食卓につくことを許されず、父親にビールを注ぐのは有働由美子さんの役目でした。
また弁護士を目指した大学受験のとき、有働由美子さんは父親に浪人を禁止され、進みたい学部をあきらめました。
厳格で亭主関白、ときには手をあげることもあったという父親に対し、有働由美子さんは恐怖を感じていたようです。
しかし母親が亡くなった直後、有働由美子さんは毎週のように実家に帰省して父親の話し相手になっていました。
ほぼ毎週のように、週末は実家に帰っているそうですよ。金曜日はいつもキャスター付きのバッグで出勤してきて、仕事を終えるとタクシーで、そのまま羽田空港に直行です。飛行機のほうが新幹線よりも早いからって
引用元:女性セブン
忙しい合間を縫って実家に帰省するなんて、有働由美子さんはとても父親思いですね。
飛行機で大阪まで帰省していたから、毎回往復4万円かかっていたんだって
有働由美子の実家の母親は忍耐の人
有働由美子さんの母親は有働比佐子さんといいます。
有働比佐子さんは専業主婦でしたが、他界されています。
有働比佐子さんは、乳がんを患い、その後糖尿病も併発。
2011年に67歳という若さでこの世を去りました。
有働由美子さんは、最愛の母親の臨終に立ち会えなかったそうです。
臨終間際の母に無言の別れを告げた有働アナは東京に戻り、母が亡くなった数時間後の『あさイチ』(NHK)にも出演。何事もなかったかのように司会を務めた。
引用元:女性セブン
しかし有働由美子さんは、有働比佐子さんのことを愛していながらも生き方を否定していました。
母を愛しているからこそ、母ができなかった、やりたいことを気兼ねせずにやる生き方を、有働アナは選んできた。
引用元:SmartFLASH
有働比佐子さんは、家族の幸せを考え、亭主関白の父親の行動にもじっと耐え続けていたそうです。
そんな母親の姿を間近で見てきて、有働由美子さんは同じような生き方はしたくないと感じました。
一方NHK大阪放送局から東京に転勤した時のことを、有働由美子さんはこう振り返っています。
引っ越しの荷物を受け入れる時間もなくて、母が引っ越しの受け入れ荷物のために4日ほどいて、生活を整えてくれていた
引用元:スポニチアネックス
どんな時も支えてくれた有働比佐子さんに対し、感謝の気持ちが根底にあったようです。
前述で亡くなった直後に何事もなかったかのように司会を務めたとありますが、有働比佐子さんの葬儀でも司会を務めた有働由美子さん。
それまで何度も葬儀の司会を経験したことがあったそうですが、最愛の母とのお別れでは、こみあげてくる悲しみを抑えきれず号泣してしまったそうです。
母親みたいになりたくないと思いながらも、大好きだったんだろうね
有働由美子の実家の兄弟は妹で父親と同居
有働由美子さんの兄弟は妹がいます。
名前や職業などは公表されていないようです。
妹は結婚していて、男の子をもうけているそうです。
父親がいる実家で同居していて、それもあり有働由美子さんは週末に実家に帰省していました。
有働由美子さんがお見合い回数について「50回以上経験している」というエピソードをある番組で披露したことがありました。
それに対して妹は「80回は行ってるよ」と有働由美子さんに突っ込みをいれたのだそうです。
大阪育ちだからか、ノリが良く、鋭い突っ込みの持ち主のようですね。
お見合い回数80回ってすごいね!
有働由美子の実家の思い出エピソード
有働由美子さんの実家の思い出エピソードを2つご紹介します。
父親が怖くてトイレが言えなかった?
前述のとおり、有働由美子さんの父親は厳しく、怒られて声をあげて泣くたびに「うるさい!」と怒鳴られていました。
父親はドライブ好きで、週末は家族でドライブに出かけることが多かったそうです。
しかしその時、有働由美子さんは父親が怖くて「トイレに行きたい」という本音を言い出すことができませんでした。
妹とトイレに行きたくなった有働由美子さんは、大きな声で歌うことで消音しながら、車の後部座席でビニール袋を下に敷いて用を足していたんだそうです。
父親の機嫌が悪くなること恐れた彼女は、後部座席で妹と2人で、父親が歌いながらハンドルを握っている隙に、「ビニール袋を下に敷いて、こっちも大きい声で歌いながら座席でして、音をごまかした」と回顧
引用元:RBBTODAY
気づかれたときに余計に怒られてしまうのでは?と感じますが、父親のことをどれだけ怖がっていたのか、伺い知れるエピソードですね。
トイレも言い出せないなんて、父親のことがよっぽど怖かったんだね
母親は強い霊感の持ち主?
ラジオ番組の心霊や怪談話のトークで、有働由美子さんは家族旅行のとき母親が遭遇した恐怖のできごとについて語りました。
夜中に、高層ビルだから窓なんか開くはずがないのに窓がぱっと開いて、すごい吹き込んで、カーテンが揺らいでた。(母が)起きなきゃと思ったら、ベッドの下から赤ちゃんの手でばっと手首をつかまれた
引用元:スポニチアネックス
有働比佐子さんは霊感が強く、たびたび心霊現象に遭遇していたようですが「ああ、そうですか」といった感じで終始冷静な対応だったそうです。
幽霊を見ても冷静でいられるなんてすごいね!
まとめ
有働由美子さんの実家について調査したところ、以下のことがわかりました。
- 有働由美子さんの実家の場所は、大阪府豊中市
- 父親は、亭主関白で元中学教師
- 母親の有働比佐子さんは、他界している
- 妹は、結婚していて男の子がいる
- 実家の思い出エピソード
飾らないキャラクターで常に明るい有働由美子さんですが、幼少期の父親の厳しさや最愛の母の死など、たくさんの困難を乗り越えてきたんですね。
有働由美子さんが今後も活躍し、家族と仲良く過ごせるよう、応援したいです。