平将明さんは、2005年に衆議院議員選挙に初当選し、2024年石破内閣においてデジタル大臣に就任しました。
大学2年生の時から交際していた妻と25歳の時に結婚し、息子と娘がいます。
好きなものは、讃岐うどん、そば、ラーメン、ケーキです。
今回は、そんな平将明さんの実家について、以下の気になることを調査しました。
- 平将明さんの実家はどこ?
- 平将明さんの実家はどんな家?画像はある?
- 父親・母親はどんな人?
- 兄弟はいる?
- 実家の思い出エピソード
最後までご覧ください。
平将明の実家はどこ?
平将明さんの実家がある場所は、東京都大田区です。
大田区は、東京都の区部南部位置する人口約75万人の特別区です。
定かではありませんが、父親の平國秋さんが死去した時、葬儀が行われた場所が大田区だったことや、平将明さんが東京4区(大田区)から出馬したことから、大田区ではないかと推測できます。
家族構成は両親、兄、4人家族です。
平将明さんは、現在も東京都大田区で過ごしていると思います。
平将明の実家はどんな家?画像はある?
平将明さんの実家は公開されておらず、画像はありませんでした。
平将明さんの実家は、大田青果市場の仲卸「山邦」を経営しています。
祖父の平邦蔵さんが、旧神田町(現在千代田区)で「山邦」を創業し、父親が2代目社長、平将明さんは3代目社長でした。
平将明さんは、サラリーマンを辞め、社長になりました。
大学卒業後、私は不動産の会社でサラリーマンをしていたのですが、そんな時に父が癌を患い、誰かが後を継がなければという状況になりました。兄は米国に留学中で、私が継ぐことになりました
引用元:another life.
家業を守ったのですね!
しかし、平将明さんは政界入りしたため、社長を退きました。
現在の社長は、平栄三(えいぞう)さんで、平将明さんの父親のいとこです。
山邦グループは、1969年「船橋山邦青果」、1972年「柏山邦青果」、1973年「成田山邦青果」、1975年「千葉山邦青果」と事業を拡大していきました。
平将明の実家の父親は2代目社長
平将明さんの父親は、平國秋(くにあき)さんといい、「山邦」の2代目社長でした。
しかし、2019年に80歳で他界されています。
平将明さんが入社した時、父親に出勤時間を聞きました。
親父に「会社に何時に行けばいいの?」って訊くと「10時でいいよ」との答えでした。意外と楽な会社だなと思ったんです。そしたらそれは、夜の10時のことでした。
引用元:another life.
平将明さんは、夜勤はとても大変で、働いてみて会社経営の大変さを知りました。
フォークリフトやモートラ(市場用の運搬用三輪車)を駆使して深夜から早朝までキャベツを運んだり、玉ねぎを運んだり、取引先のトラックの荷台に積み込みます。で、その後、仕入れの帳面を書いて、セリにいってセリ人と価格交渉をし、販売先に営業をかけ、さらにその後、会社の経営をするわけです。
引用元:another life.
初めて経営というものに携わり、父親の苦労を知ったのかもしれませんね。
平将明さんは、経営の立て直しが必要であり、徐々に売り上げを伸ばしましが、会社の体制を変えることなどに反発した社員が、3分の1ほど辞めました。
つらい思いもたくさんしましたね
平将明の実家の母親の先祖は源氏
平将明さんの母親は、平輝子さんといいます。
母・輝子さんの職業の情報はありませんでしたが、平将明さんの父親が会社経営のため手伝っていたのかもしれません。
また輝子さんは、2022年10月に83歳で他界されています。
平将明さんの母親の先祖は、源氏と関係があるようです。
平将明さんが、Xで明かしています。
ちなみに母方の祖先は源氏とも言われています!@531meril @wakusei2nd もう答えちゃうんですね(笑) RT @TAIRAMASAAKI: “ライバル”というよりは、“尊敬する人”です!@531meril やっぱりライバルは平将門ですか RT
— 平将明(たいらまさあき/Taira Masaaki) (@TAIRAMASAAKI) March 14, 2014
詳しい情報はありませんでしたが、平将明さんは平家とは関係なく、源氏と関係があるようです。
源氏が先祖はすごいね
平将明の実家の兄弟は米国の大学院出身
平将明さんの兄弟は兄がおり、平浩一郎さんといいます。
浩一郎さんの職業の情報がありませんでした。
家業を継ぐことについて、兄弟間で暗黙の了解がありました。
兄弟は私と兄がいて、どちらかが後を継がなくてはならない状況だったんですが、兄弟の間では何となく「出来の悪いほうが継ぐことになるのかな」という暗黙の了解がありました。
引用元:another life.
平将明さんは、早稲田大学出身ですが、浩一郎さんは慶應義塾大学を卒業した後、米国のコーネル大学の大学院に進みました。
兄の方が優秀だったかも
平将明さんの実家の思い出エピソード
平将明さんの実家の思い出エピソードを2つご紹介します。
平将門公にあやかって名付けた
平将明さんの名前は、平将門公にあやかって、両親が名付けました。
両親は神田明神に祀られている平将門公にあやかって、将明と名付けたようです。一時はそのまま将門と名付けられるところだったそうですが、母が「学校でいじめられる。」と反対したそうです
引用元:another life.
平将門公が関東地方で反乱を起こしたように、両親は平将明さんに高い志を持って育ってほしいと思って名付けたのかもしれませんね。
小学校時代はガキ大将
平将明さんは、小学校時代はガキ大将で、親によく怒られたそうです。
ケンカもよくしました。中学受験の数週間前にもケンカをし、馬乗りになってパンチをしたら、相手によけられ床を思いっきり殴ってしまい、右手がパンパンに腫れて鉛筆が持てなくなってしまいました。運よく早実にパスしましたが、親にはえらく叱られました。
引用元:another life.
両親はとても心配したことと思います。
まとめ
平将明さんの実家について調査したところ、以下のことがわかりました。
- 平将明さんの実家の場所は、東京都大田区
- 父親の國秋さんは、山邦2代目社長
- 母親の輝子さんの先祖は源氏
- 兄の浩一郎さんは、米国の大学院出身
- 実家の思い出エピソード
平将明さんは、ガキ大将でしたが、苦手なことを人見知りと明かしています。
祖父が創業した会社を代々守り、会社経営の大変さもたくさん経験しました。
家業のために全力を尽くし、前にを向いて進んできた平将明さんの活躍を期待しています。